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イーハトーブフェスティバル
2024
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- 日時/会場
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22024年8月31日(土)、9月1日(日)宮沢賢治童話村
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- 8月31日(土)
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●オープニングプログラム:イーハトーヴ子ども合唱隊
●アーティストライブ:日食なつこ(ピアノ弾き語りソロアーティスト)
●スペシャルトーク:鈴木敏夫(スタジオジブリ代表取締役プロデューサー)
●映画上映:『君たちはどう生きるか』(監督/宮崎駿)
司会:石田瑠美子(岩手朝日テレビアナウンサー)
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- 9月1日(日)
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●オープニングプログラム:イーハトーヴ子ども合唱隊
●アーティストライブ:安藤裕子(シンガーソングライター)
●スペシャルトーク:岩井俊二(映画監督)
●映画上映:『キリエのうた』(監督/岩井俊二)
司会:石田瑠美子(岩手朝日テレビアナウンサー)
2024 Special Talk 2024 スペシャルトーク
- 鈴木敏夫スペシャルトーク
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2018年より3回にわたり「イーハトーブフェスティバル」に出演されている、スタジオジブリ代表取締役プロデューサーの鈴木敏夫さん。「賢治のことは言い尽くした」ということで、2024年の今回はジブリ最新作であり、映画館以外での上映がこの時が初となる映画「君たちはどう生きるか」の話を中心に、盟友・宮崎駿監督の関係や、ジブリの誕生エピソードなど。「実を言うとね」と秘密を打ち明けるような口ぶりながら、軽やかに語っていただきました。
賢治が愛した温泉へ僕はこのイベントの2日ぐらい前から岩手に入っていたんですよ。そして大沢温泉(※)に、一昨日行って来ました。最初は人が教えてくれて行くようになったんですけど、僕は特に湯治部が好きなんです。いろんなことを考えながら身体を休める時、本当にいい場所だなって。
僕は知らなかったんですが、実は宮沢賢治とゆかりがある温泉なんですね。ご承知の方も多いかと思うんですけど、大沢温泉というのは、宮沢賢治がお父さんの政次郎さんとふたりでよく来ていたんですね。政次郎さんが浄土真宗の勉強会を開いていて、賢治さんがね、法華経の方に心がいくひとつのきっかけとなった場所だそうです。
実はその勉強会のゲストの中に、僕が通っていた中学・高校の学園長の名前があってびっくりしたんですよ。ご縁があるというか、大沢温泉のことが僕の中で、さらに身近なものに感じたんですよね。
それからもうひとつ、これ、あんまり言わないようにしてきたんですけど。僕が誘ったということもあるんですけど、大沢温泉には本当にたまに、あんまり表に出ない宮崎駿が、お忍びで来てるんですよ。誰も気が付かないんですけどね。
※1,200年もの歴史を持つ、岩手県花巻市にある県内屈指の温泉地。宮沢賢治ゆかりの地としても知られる。
宮沢賢治「二十六夜」への思い僕は岩手へ来る前に必ず、宮沢賢治の中から一作品だけ、もう一回読んでみることにしてるんです。好きな作品っていっぱいあるんですけれど、今回は「二十六夜」(※)を読みながら来ました。
「二十六夜」ってね、ふくろうの子どものことを描いた悲惨な話ではあるんですけど、二十六夜の薄っぺらい月の中に、三体の仏様が現れるという説話があってね、ちょっと心ひかれたんですよ。そういうものを題材に、ジブリで作品を作ることができないかな、なんてふと思ったりもしたんですけどね。
※賢治の生前未発表の中編童話。ふくろう達が独自の仏教信仰によって、人間に囚われたふくろうの子供・穂吉の悲しい死を乗り越えようとする姿が描かれる。作中に登場する「二十六夜待ち」とは、旧暦1月と7月の二十六夜の月の出を仏の姿になぞらえて拝む風習のこと。
宮崎映画と宮沢作品の関連性(宮崎駿の映画が、宮沢賢治の作品に影響をどう受けているかについて)あのね、ここまで話します。 宮崎駿の自宅にはね、宮沢賢治全集が確かに置いてありました。
ただ当時の人はね、一種の教養として、有名になった作品はみんな読んでたんですよ。なので当然、知ってたに違いない。だからといってね、 それを作品と直接結びつけるのはどうかな、とちょっと思うんです。
宮崎に言わせるとですよ「みんなが好きになる作品、いわゆる通俗文化というのはバトンみたいなもので、 ある人がある作品を提供したら、それを読んで面白いと思った人は、それを受け取るんだ。だから何らかの形で、いろいろな作品の影響は受けるものだ」と言っています。
「スタジオジブリ」が生まれた日プロデューサーという仕事の話をするのであれば、ジブリを作った時のことに遡るんですよ。あれは確か、1985年かな。宮崎駿と高畑勲と僕と、三人で話したことがあって。それが「スタジオジブリ」が生まれた日なんですけど。
その時に宮崎さんがね、「俺と高畑さんは監督だから、鈴木さんはプロデューサーだよね」って言ったんですよ。僕は目の前が真っ暗になってね。だってわかるでしょう、それは面倒臭いことを全部僕に押し付けよう、ということなんですよ。でも三人しかいなかったんで、とりあえず仕方なく引き受けて。そのうち変わるかなと思っていたら、こんなに時が経ってしまいました。
「友情」がテーマの映画「友情をテーマにした映画を作りたい」とは、宮崎さんは前から言ってたんです。それを今回「君たちはどう生きるか」で実現できた、ということなんでしょうね。
中でも何が面白かったかって言ったら、やっぱり青サギなんですよね。何しろ鳥。鳥の中から人間が出てくる。これって宮崎さんにしかできないと思うんです。ついでに言っちゃうとね、いわゆるコンピューターグラフィックス、CGではああいうことってできないんですよ。これぞキャラクターアニメーションの真髄ですよね。
この映画を観てね、みなさんいろんなこと感じられたんだろうけれど、実は面白いと思った方の心の中に、青サギのことがあったんじゃないかなっていう気はします。 何でかって言ったら、見ていて楽しいキャラクターだからですよ。そう思いますけどね。
眞人と青サギ「僕たちはどう生きるか」の中に、主人公の眞人と青サギが二人で隣同士に並んで、喋ってるシーンがあるでしょ。僕はあのシーンを最初観た時、驚きました。何でかというと、僕と宮崎さんが普段やってることが。そのまま描かれてたから。 こんなことまで映画にするんだな、って思いましたね。
そしてその時に何を喋ってたかをね、本当によく覚えてるんですね、あの人は。ちょっと驚きましたね。僕はあのシーンが出来上がった時に、「宮さん、これほんとに面白いですよ」って言ったんですよ。そしたら彼がね、「はい」って。すぐ喜ばないんですよ。だから知らん顔して、「いや、今までの中でもかなり出来がいいですよね」って言ったら、「そう」って。
青サギのモデルは?で、僕、ついでに聞いたんですよね。「このアオサギのキャラクターにモデルはいるんですか」って。そんなこと、普段言わないんですよ。そしたら宮崎さんがね、「モ、モ、モデル」って、ちょっとね、口ごもったんです。で、慌てて、「モデルはいないよ。鈴木さんじゃないよ」って言ったんですよ。
だから、僕自身のあの映画に対する感想を言えば、 ふたりでやってきたいろいろなことを総括したように見えるんですよね。それを映画にしてくれたのは、僕はうれしかったです。だからと言って、「作ってくれてありがとう」とかバカなこと言わないですよ。お互いね、「言わぬが花」っていうのがあるわけだから。
「愛憎相半ば」の関係これは僕の意見ですけど、男女でも、男同士でもいいんですが「人と人が出会って、ただお互い好きになるだけ」って、ないと思ってるんですよ。それだけだと、いろんな大事なものを見落とすような気がしています。
「愛憎相半ば」っていう言葉があるんですけどね。人との関係というのは好きになる時も、そうじゃない時もある。そういう関係は、実を言うと深くなるんですよ。僕と宮崎さんは、まあなんだかんだで50年一緒に付き合ってきたけれど、やっぱりね、そりゃいろいろあるよね、うん。
作ることが「日常」宮崎の心が安定しているのは、作品を作っている時ですね。映画が公開して、来場者数は?映画評は?という段階になってくると、なんかイライラし始める。作っている時が彼の日常だから、作り終わった後の方が多分、非日常なんでしょうね。言い方を考えなきゃいけないけど、一種の病気ですよね。作っていたい人なんですよね。
映画「君たちはどう生きるか」の公開映画を公開する際に、メディアの協力を得て事前に宣伝をするのは当たり前のことで、僕自身もこれまでたくさんやってきたんですけれど、この作品に限ってはそれを一切やめるっていう決断をした日がありました。はい。
宮崎駿の最後を飾るには、一切の広報なしで映画を公開して、みなさんに観てもらえる。その方が(宮崎監督にとって)幸せなんじゃないかな、って僕は勝手に思ったんですよ。だからそうしたんです。
映画作品を忘れることの意味映画の公開からもう一年ほどになりましたが、いろんな方と映画の話をする時に、宮崎さんは「忘れました」って口癖のように言うんですよね。
僕はそれを聞きながら、ちょっと心配になるんですよ。それは(宮崎監督が)自分の最新作を覚えているうちは、次の作品に取り掛からないだろう、と考えているから。彼と出会ったのが1978年で、もう50年近く前になります。それからの付き合いですから、彼のことは知り尽くしているでしょ。ちょっと油断するとね、また次をやりたいって言うん ですよ。だから僕はそれを阻止すべく(映画「君たちはどう生きるか」のことを)思い出させようとしてます。
みなさんの(次回作への)期待を裏切ることになるかもしれませんけど、(宮崎監督が)酷い作品を作って終わるのが嫌なんですよね。だから今作で綺麗さっぱり最後を、と思ってるんですけど。
ただそれに関しては、まだ何とも分かりませんね。
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- 岩井俊二スペシャルトーク
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「イーハトーブフェスティバル2024」には2016年に続き、2度目のご登場となる映画監督の岩井俊二さん。ご自身を捉えて離さない宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の謎について、賢治や岩手への想い、そして最新作となる音楽映画「キリエのうた」にまつわることなど、岩井監督の柔らかい語り口ながら、内容は深く濃いスペシャルトークとなりました。
ふるさと、東北への思い岩手、特にイーハトーブには「聖地」というイメージがあって、隣の宮城県民としては羨ましいですね。宮城にはそういう場所がないので。ただ、僕自身も宮城県出身者として、東北そのものがやっぱり自分にとっての聖地というか、ふるさとというか。
僕は大学で横浜に行って映画を作り始めました。そこから先の人生って、物語を作るために生きているみたいなもので、作家じゃない自分で生きていることが、ほぼないんですよ。そうすると、人生そのものがどこかしら創作を目的に生きている感じになって、常に「これは映画のネタにならないかな」とか思ってしまうんですよね。
そうなる前の、18歳までの自分が過ごした東北は、ある種のサンクチュアリというかですね、すごく思い出深い土地なんです。
岩手、そして震災世代の活躍岩手は今、すごいですよね。(ロサンゼルス・ドジャースの)大谷翔平選手、(千葉ロッテマリーンズの)佐々木朗希選手も岩手出身ですね。漫画界でも、『呪術廻戦』の芥見下々先生は岩手県北上市の出身ですね。実は作品の中に北上駅が出てくるんですよ。(宮城県出 身・プロフィギュアスケーターの)羽生結弦さんなんかもそうですけど、みなさん、(2011年の)東日本大震災を経験した世代じゃないですか。
これは震災が起きた当時に思っていたことなんですが、若い頃に本当に大変な、重大な体験をした世代が、震災の10年ぐらい先になって新しいムーブメントを作っていくんじゃないか、当時よくそんな話をしていたんですよ。そうしたら最近、才能ある若い人たちが次々と出てきて。その世代は、例えば撮影現場なんかでもみんな優秀なんですよね。
岩手県や宮城県、山形県、青森県、秋田県、福島県と、それから茨城県、千葉県なんかもね、これからいろんな才能が出てくるんじゃないかって。すごくすごく楽しみにしてます。
「銀河鉄道の夜」との出会い小学校6年生ぐらいだったと思うんですけど、 父親のものなのか、母親のものなのか、おじいちゃん、おばあちゃんから譲り受けたのかわからない、『宮沢賢治作品集』が家にありました。
その当時でもすでに古びた、小さな活字の大人向けの本だったんですけども、そこで初めて「銀河鉄道の夜」を読んだんですよね。今まで体験したことのない感動があって、すごい衝撃を受けましたね。その感動というのは読まれた方が等しく感じるところかもしれないですけど。
「銀河鉄道の夜」の謎を読み解く中学1年生になって、読書感想文を書くために学校の図書室から本を借りて「銀河鉄道の夜」を読み直したんですよ。そうしたら以前読んだものと、物語の順番が全然違うんですね。これは何か変だぞ、と。
実は「銀河鉄道の夜」には2種類のバージョンが存在するんです(※)。その理由について、中学の時、高校の時と、2回にわたって読書感想文を書きました。2016年にも「宮沢賢治の謎」をこちらでお話ししたんですが、宮沢賢治のことを聞かれた時に、僕が一番お話ししたいのがこのネタなんです。
ふたつの「銀河鉄道の夜」今読むことができる「銀河鉄道の夜」は、ある日突然、主人公のジョバンニが銀河鉄道に乗ることになり、そこに友人のカムパネルラもいて、一緒に旅をする。旅が終わって現実世界に戻ってきた後に、ジョバンニは実はカムパネルラが死んでいたことを知る、という結末になっています。
僕が最初に読んだのは、銀河鉄道の旅の前にジョバンニがカムパネルラの死を知っていた、というもので、結末が旅の手前に入っているんですよ。全然違うわけですよ。「銀河鉄道の夜」は、賢治さんが亡くなった後に原稿が発見されています。途中が抜けていたり、順番がわからなかったりしたものを、周囲の方がまとめて出版されたもの、その後さらに研究が行われたものと、実は2種類あるんです。
死、とともに旅をする僕が最初に読んだ古いバージョンの方で考えると、「銀河鉄道の夜」はカムパネルラが死んでその魂を迎えにきた列車に、間違ってジョバンニが乗り込んで行く話なんですよ。
どちらのバージョンで読むかで、最後に「僕たちはいつまでも一緒だよ」ってカムパネルラに言うジョバンニの言葉が、何も知らずに言ってる「いつまでも一緒」なのか、もう死んでいるカムパネルラに言うものなのかで、まったくその場面から感じるものが変わってきちゃうんですよね。みなさんはどっちがお好みでしょうか。
僕は個人的には古いバージョンが好きなんです。職業柄、カムパネルラが実は死んでいたというオチがやや陳腐な感じがしなくもないですし。読者もカムパネルラの死を知っていて、ジョバンニと同じ気持ちで読んでいく、っていうほうがいいなと。
どちらが正しいというものでもないし、賢治さんしか正解は知らないんですけど、どっちも読めるように両方出版してほしいですね。もし一冊しか持っていないという方は、自分で編集して、結末のところを旅の前に持ってきて読んで見てください。そうしてもらうと、僕が言ってることがわかると思うんです。
※「銀河鉄道の夜」は、賢治の死により未完。遺された草稿の研究が重ねられ、筑摩書房版『校本宮沢賢治全集』(1974年刊行)で、初期形(第1次稿〜第3次稿)から最終形(第4次稿)に至る段階で大きな改稿があったことが確認された。筑摩版全集以前には、第三次稿・第四次稿を混合したテキストが出版されていた。
「賢治」と「俊二」今日改めて(賢治の曲を)聴かせていただいて、意外と讃美歌やクラシックなどからの影響を感じましたね。戦前の日本、東北でイメージする音楽って祭囃子みたいな感じじゃないですか。でも賢治さんの中にはハイカラでモダンなサウンドが流れていたんだな、と。僕もそういう音楽が好きなので、相通じるものを感じずにはいられないですね。
銀河鉄道の秘密に子どもの頃に出会ったりしていますし、もしかすると僕は宮沢賢治の生まれ変わりなのかもしれません。名前も俊二で「じ」が入ってますし。賢治と俊二。
音楽映画への気づき今回、上映する作品<キリエのうた>は音楽映画ですが、もともと僕の中で「音楽映画とはこういうもの」という定義があったわけじゃなかった。ただ海外に行った時、あるプロデューサーの人から「シュンジはもっと音楽映画を撮らないないのか?」って言われたことがあって。「ミュージカルのことじゃなくて、音楽映画?」「そう、音楽映画。いくつも撮ってるじゃん」って。思えば「スワロウテイル」とか「リリイ・シュシュのすべて」も音楽がいろいろと出てくるし、そういうことかと。
しかもそのプロデューサーさんに「音楽映画を作るディレクターだったら、シュンジは世界で3本の指に入るよ」と言われて。確かに映画を作る人はたくさんいるけれど、音楽映画を作ってる人って、頭の中で考えても2〜3人しか思いつかない。チャレンジしてる人が少ないのであれば、ひとつのライフワークとして悪くないなと。
音楽という魔物実際に今回「キリエのうた」をやって、最初はもうちょっと小粒な内容で考えてたんですね。ただ結果としては3時間ぐらい、あと「路上のルカ」※も含めると、5時間ぐらいある。しかも振り返ると、「スワロウテイル」や「リリイ・シュシュのすべて」もふくめて、自分が撮った作品の中でも、テーマが申し訳ないぐらい重たいんです。これはどうしてだろうと思ってたんですけど、ある時気づいたのが「音楽映画って、こうなっちゃうんだ」って。
どういうことかというと、多分みなさん、年末に『紅白歌合戦』で今年流行った曲とか昔の懐かしい曲を聴きながら年越ししたりと、気軽に音楽に触れていると思うんですよ。でもよくよく考えるとその中に、ただ明るくて楽しい曲がどれだけあるかってことなんです。
つまり音楽って、本当はきついこととか、辛いこととか、耐えがたいこととか、失恋して苦しいこととか、人生のカオスな部分がぎゅっと押し込まれている。それを曲に乗せることで飲めるようにはしているけれど、もとは劇薬なんですよね。
それを開いて集めて、映画に流し込むとどんな作品ができるかって、考えてみたらわかるじゃないですか。そりゃ、なかなか胃もたれするような、重い映画できるわなと思って。なので僕が作ったというよりも、音楽に作らされている自分に気づいたというか。
音楽という魔物と付き合うと、こういう映画になるんだ。つまり音楽映画に挑むということは、この魔物と契約しなきゃいけないんだっていうことに気づいて、ですね。やばいと思いつつ、ますます挑みたくなってきたんですよね。
※「路上のルカ」は映画「キリエのうた」を岩井俊二監督が再編集したもの。 2023年に公開された「キリエのうた」は、歌うことでしか声を出せない住所不定の路上ミュージシャン・キリエを軸に、彼女の音楽がつなぐ13年に及ぶ壮大な愛を描いた物語。 キリエをアイナ・ジ・エンドが演じたほか、松村北斗(SixTONES)、黒木華、広瀬すずらが出演。
映画と小説映画に比べて、小説は自分の思いついたものをありったけ書かせてもらって、全部詰め込んでいるところはあります。でもやっぱり、表現が違うというか。それは映像だったり、文章だったり、音楽だったり、絵だったり。そのアウトプットする先が違うと、まったくアプローチが変わってくるんで。そこはすごく楽しいですし、毎回楽しみですね。それにどちらかというと、映画ってできたりできなかったりするので、作品としては小説の方が多いんです。だから数で比較すると小説家になるわけですけど、映画監督として覚えていただいているので、いいかなと思いながらも、小説も読んでくださるとうれしい。
ただ小説はね、多分読むと1日ぐらいかかるじゃないですか。だからなんか気が引けて、ですね。自分から読んでくださいって、軽々しく人の時間を奪っていくな、みたいな。本当に申し訳なくて。自分の口からは「うっ」となって言えない。
曲作りの苦悩映画「キリエのうた」のサントラは小林武さんがやっておられて、キリエが歌う楽曲に関しては、小林さんが何曲か作ってくれたのですが、あとはほとんど(キリエ役の)アイナ・ジ・エンドさんがご自身で作詞作曲されてるんです。当時、「BiSH」としてフィナーレの活動をしながら、舞台もやりながら、この映画にも出演して。そして夜中に帰ってきて、一生懸命作詞作曲して。
しかも「キリエは絶対にギターで作曲をしてるはずだ」と本人が言って、慣れないギターで頑張って作って。それでね、深夜にLINEが送られてくるんですよ。「新曲がこんな感じでできました」って。それを聴くのが当時、僕も本当に楽しみだったんですけど、途中でちょっと、本人が挫折しかかったんですよ。「さすがにちょっと無理なので、他の方に書いていただいてもいいと私は思うんです」みたいに言われたんですけど、その時に「待つから」って返信して。
それは多分、アイナさんに自分で曲を書いて欲しいというより、そこで気持ちを譲っちゃったことで映画が完成して、少し時間に余裕ができた時に、アイナさんが悔しい思いするんじゃないかと思ったから。
そこはもう、本当にいつまででも待てるし、待つから、ゆっくりでいいからやってみませんか。なんて言ったら、そこでちょっとガス抜きができたのか、次々と上がってきて。「あぁ、よかった」と。
ご本人も本当に苦しい思いをしながら作った曲なんで、ぜひ思いを馳せながら聴いてもらえるとうれしいですね。
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